ポイすては命をうばう
新井 陽菜
菊川市立堀之内小学校
絵:静岡理工科大学 静岡デザイン専門学校 1年 保科蓮麗
私の住んでいる所は海の近くにある。海で遊ぶことは私の楽しみの一つだ。すなはまをはだしで歩き、貝を拾ったり、少し海に入ったりすると、モヤモヤしていた心がすっとする。海には、つりをしている人、サーフィンをしている人、昼ねをしている人、たくさんの人がいるけれど、みんなすっきりとした顔をしている。きっと海には人のモヤモヤやイライラをすい取ってくれる力があるのだろう。
だけど、海に行ってモヤモヤしてしまうことが一つだけある。それは、ゴミがたくさん落ちていることだ。空きかん、ペットボトル、 ビニールぶくろ、ボールやバケツまである。 このゴミのほとんどが海ですてられた物ではない。当たり前だが、どこかでポイすてされ たゴミが勝手にゴミすて場に行くことはない。 風に飛ばされ、水に流され、最後に行き着く 場所が海なのだ。
海のゴミは年々増え続けている。このまま のペースでふえると、二〇五〇年には、魚よりもプラスチックゴミの量が多くなってしまうと予想されている。魚よりもゴミがふえてしまったら、どうなってしまうのだろう。きっと私が海に行っても心は晴れなくなる。でも、それだけではない。三年生の時に聞いた話では、死んでしまったカメのおなかの中を調べたら、大量のプラスチックゴミが入っていたという。この話を聞いた時は「カメがかわいそう」とただ切ない気持ちになったけれど、今この話をふり返ると、カメだけの問題ではなく、他の魚にも言えることなのだろう。 海のゴミは、魚たちをころし、私たちの食たくから魚料理をうばってしまう。さらには、よごれた海で育った魚を食べることで、私たち人間の健康をうばってしまうかのうせいもある。
私は今まで、ゴミのポイすてをしたことはない。それは、なんとなく自分の住んでいる 町や地球をよごしたくないという気持ちだった。だけどこの作文を書く中で、ゴミをポイすてしないことは、私たち人間が自分たちの 食たくや健康を守るために必要なことなのだと気づいた。
ポイすてをしないために一人一人が出来ることはとてもかんたんなことだ。外で出たゴミは決められた場所ですてる、すてる場所がなかったら家に持ち帰る。マイバッグや水とうを持ち歩き、プラスチックゴミをへらすようにする。小学生の私でも、出来ることがたくさんある。これを地球に住むみんなが取り組み、二〇五〇年になっても魚たちが安心して住める海、私たちのモヤモヤした心を晴らしてくれるキレイな海であってほしいとねがっている。