
絵:静岡デザイン専門学校1年 井上結月
強い命、弱い命
静岡サレジオ小学校5年 森谷 陶人
人の命とはなんだろう。ぼくは歴史に興味があって、調べてはカッコイイ!と感じていました。しかし、調べている中で、テレビには映されていない生々しい生活があるということを知って、驚きました。英雄がたたえられていても、その裏では普通の人やぼく達くらいの子どもも苦しんでいる。これからはものの見方が変わる気がしています。
これまでは戦争のニュースを観ると、自然環境やいろいろな生き物を心配していました。なぜなら、日々外遊びをする中で地球温暖化をひしひしと感じ、人間は自然をこわしてしまう力を持つ存在だと思っていたからです。ところが、人間はぼくが思うよりも弱き存在でした。
原爆が落とされて、学校が救護所になったシーンがありました。その場所ではぼくと同じくらいの年齢の子ども達が、亡くなった方のご遺体を運んだり、遺品を集めたりしていました。今の日本では、子どもは守られていて、重傷の人を見ることすらありません。戦時中の子ども達はなんてたくましくて、同時につらそうなんだろう。そして、外国には今でもつらい仕事をしなければならない子どもがいるのかもしれない。そういった子ども達のことを考えた時、助けられるべき大切な命がここにもあるんだと感じることができたのです。
ところで外遊びが好きなぼくにとって身近な命といえば、川の魚や野山の虫たちです。あれはぼくが九才の秋のこと、つまり虫が冬をこす準備をするころの話です。風が吹くと少しはだ寒い日の森でした。まわりを見ると、小さいシジミチョウやセセリチョウが飛んでいます。夏にはたくさんいたモンキアゲハなどの大型の蝶やセミは鳴りを潜め、いつもにぎやかでぼくを楽しませてくれた森はひっそり静まりかえっていました。ぼくの虫かごには、ツマグロヒョウモンという蝶の幼虫が一匹だけポツンと入っていました。秋だというのに越冬せずに、スミレの葉をさがしていました。蝶や蛾の幼虫は、決まった植物でないと食べられません。ところが周りにスミレがないことに気付いてしまったぼくは、放っておけない気持ちになり、育てることにしました。
そこで、いつも行く自然公園や花屋さん、近所の川沿いを探したけれどスミレは見つかりません。そうして何日かたつうちに、幼虫はやせてほっそりしてしまいました。とうとう困って、詳しい人に質問すると、あの森に少し前に生えていたと教えてもらえました。
今でも秋がくるとあの幼虫は無事冬をこせたのだろうかと心配する気持ちがよみがえってきます。家族を失った人の気持ちはまだ実感できないけれど、とても悲しいのだろう。
ぼくはいつもテレビで観ても被害を数字で見てしまうけれど、その向こうには人がいるということに気が付きました。そして強い命も弱い命も大切だと気が付いたのです。